デザインと統一感のおはなし

 AppleのパソコンやiPodなどについてくる白い電源。コンセントの2本足が折り畳めるし、
その部分を取り替えて、長いコードも付けられるやつ。あれ、デザインが素晴らしい。
iPod touchには、同じ形で5cm角くらいの小さいやつが付属していた。これがまた可愛い。
iPoneでは電源がさらに小さくなって3cm角くらいになったけれど、さすがに同じ形にできなかったようだ。
これになるまえのAppleの電源は、直径10cmくらいの円盤みたいな形だった。AirMacベースステーションも、円形から四角になったし。


 そうそう、先週買ったMacBook Airの箱を開けたら、iPhoneの梱包とまったく同じ構造で面白かった。
そもそも、Appleの製品はソフト的な使い勝手に素晴らしい統一性があって、これに慣れると、新しい機械や、ソフト、システムになっても、
ほとんど同じフィーリングで使える。その統一性が、電源や梱包にまで表れているわけだ。


 こういった全体の統一されたデザインをどうやって決めているのだろう。日本のメーカに欠けているセンスだと思う。
クルマでもよくそれを感じた。アルファロメオみたいに、共通的なものをデザインに取り入れているメーカは
日本にはなかったように思われる(ホンダが、やや意識しているくらいか)。形を見ただけで、メーカがわかる製品って、日本にあるだろうか?


 まあ、しかし、国鉄蒸気機関車とか、大戦中の戦闘機なんかは、かなり統一感があるから、規制によるものもあるだろうし、
統一されていれば良いというものでもないか……。
 日本の街並ほど、千差万別で統一感のない建物が並ぶところは珍しいだろう。京都などの古い街並では、建物に統一感があって、
なんとなく絵になる風景だな、落ち着いているな、と感じる。しかし、こういうのは、材料や工法が限られていたからそうなった、
つまりある意味では不自由だったから、ともいえる。今は、選択肢が増え、豊かになったので自由になんでもできる。
しかし、だからこそ、「では、本当になんでも良いのか?」と問うべきだろう。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/08/post_2081.php


制約が自由を生み、自由が制約を生むってことですね。
不自由な枠があれば、そこの中で自由を生み出すというところは割と人間がモノを作るときの
本質じゃないのかなあと自分は思います。逆に言えば、あまりの自由を与えられると、人間は自分で枠を作り出すのかなと。

総じて言える重要な事は、「では、本当になんでも良いのか?」「そこに統一感はあるのか?」を
問い続けることだとおもいます。


Good design concuers all !!