一匹狼と群れの間で -帽子をかぶりわける-


橋本さんが良いことを書いているので便乗。

ただ、この「一匹狼の群れ」は、ともすれば「自由な奴等」で、何かを継続するということがなかったりします。
新規性、挑戦性のあるようなことには、狼として食らいに行くのですが、そうでないと、見向きもしない。
端的に言えば、派手さを好み、地味さを嫌うのです。


そのような「群れ」には、新しい扉を開ける力はあっても、それを継続する力はないように感じます。
継続できないもの、それは「世の中的には、無かったこととあまり変わりがないことだ」と僕は思います。
収束することを考えていなかったり、パワーがなかったりしたときには、「邪魔なもの」になる可能性も秘めています。

例えば、仕事をルーチン化していくこと、ルーチン化された仕事をコツコツとこなすこと。
過去を大事にし、そこから得るものを今後のために生かすこと。
新しいアイデアを自己否定していくこと。
そういうことも、必要だと感じます。

http://blog.livedoor.jp/nulab_hashimoto/archives/51327477.html


なんとなくですが、一匹狼でいるときと群れで行動するときと上手く帽子をかぶりわけられないかなあと
最近自分もよく感じてました。自戒を込めて、うまいこと切り分けられるようなプログラマになれたらなと
思って、T2では色々取り組んでます。


例えばこの土日でCubby+せろり+T2で合宿行ってきましたが、こういうコラボ的なのは
群れて行動する良い例じゃないかと思います。おかげで良い知見がたまったし、やる気もでたし、何より面白かったです。
相乗効果というやつでしょうか。次回も開催したいなと思うわけです。


で、だからといって、群れることばかりしていると、群れるのが目的化してしまい、そもそも何のためにいるんだっけ?
とかってなるわけです。そこは一匹狼じゃないすけど、きちんと自分の意見や形を実現するためですよと意識をきっちりもっていきたい。
特に営利団体ではないと、そこらへん曖昧になっちゃいます。
楽しければいいじゃんという発想もあるけど。個人的には誰かがいなくては何もできないようではダメじゃーんとなるんですよ。
最小単位は常に一ですよと心にきざんでおかないと、群れがいなくなった瞬間に何も出来なくなってしまうのです。



で、個人の特性もあります。自分はどちらかといえば群れる派です。一匹狼的な要素が少ない。
なんで、気をつけていないと、群れることが目的化してしまうかもというところも、どこか心の片隅で感じていたりもします。
楽しいことは良いことだし好きですよ、もちろん。楽しくないと続かないから。お祭りの発想と一緒です^^
で、群れる力はとても重要だし広がりをもたせることも出来るけど、だけどその矛先をちゃんと向けるべきところに向けて
力を束にしてかないとダメじゃーんと最近は考えるのでありました。


なので、帽子をかぶりわけたいですね。
一匹狼と、狼として群れるのはバランス感覚の問題なんですという持論ですた。